まごめ やすこ
1942年、東京都生まれ。都職員等を経て軽井沢に在住する童話作家。離山通り沿いに児童書専門店「絵本と童話・ばん」と子ども文庫の「くるみ」を開いている。著書は「
ひなちゃん と ちりちゃん」等。

正宗白鳥詩碑
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「花さうび 花のいのちは いく年ぞ 時過ぎてたづぬれば 花はなく あるはただ いばらのみ」 と、軽井沢を愛し、ここに住んだ文士の一人である正宗白鳥が日常から愛唱したギリシャの詩が自筆で書かれ刻まれている。1965(昭和49)年に東京工業大学教授谷口吉郎氏の設計により建立された。使用された黒御影石はスウェーデンから取り寄せられたもので、碑の台下には故人愛用の万年室が埋められているという。旧軽井沢ニ手橋を渡り左手に200m程進むと室生犀星の詩碑があるが、そこを通り過ぎ約250mのところに案内板がある。案内板から右の未舗装の道を入り、小さな谷川沿いにおよそ350mの緩やかな登り道を辿った山中にある。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

枡形の茶屋
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追分宿の西端にある。枡形とは軍事上の理由から城門や宿場の入口を枡形に屈曲させて、中の様子が見えないようにしたもの。追分宿の枡形付近には数件の茶屋があり枡形の茶屋と呼ばれていたが、その内の一軒 「つがるや」 が当時の面影を留めている。

馬取の石仏群 【
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馬取から発地に向かう峠の手前北側に薬師堂登口と案内された20段程の石段がある。登りきると右手におよそ100基の石仏が集められていて、そのうちの88基には観音像が彫られている。観音菩薩は地蔵菩薩とともに一般庶民に最も親しまれた仏様で、現世利益と結びついており、病平癒祈願や豊作祈願のために江戸時代後期に製作されたものと推定されている。当時の馬取地区を偲ぶ大切な石仏群で、昭和48年、軽井沢町文化財に指定された。 ⇒ 文化財

マヒワ
軽井沢には冬鳥として大群で渡来し、初めは亜高山帯の針葉樹林などにいるが、寒さとともに次第に山麓に下り、アカマツ林、落葉広葉樹林、昆交林などに群れている。チュイーン、チュイーンと鳴き、特に春の渡り前に群れでよく鳴く。春は遅くまで残りシラカバなどに群れていることがある。(アトリ科/冬鳥)

万山望(まんざんぼう)
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国道146号峰の茶屋から軽井沢方面に少し下ったところにある展望台。特に木々の葉が落ちた冬季間は雄大な眺めが堪能できる。

万平通り
軽井沢本通りと
万平ホテルとを結ぶ道。軽井沢駅方面からだと、東雲交差点を300m程過ぎたら右折。旧軽井沢銀座商店街方面からだと、旧軽ロータリーから600m程の所を左折。中程で横切る矢ヶ崎川に架かる森裏橋左岸の袂は、南方へ向かうサナトリウムレーン(ささやきの小径)と南東に向かう堀辰雄の径(フーガの径)の起点になっている。また、万平ホテル近くで交わる旧軽井沢方面からのオーディトリアム通りは、万平通りを境に釜の沢レーンと名前が変わる。

万平ホテル
江戸時代に旅籠「亀屋」として創業した。1984(明治27)年に一部を洋風に改装し、名称も
亀屋ホテルと改めた。1902(明治35)年には現在地に移転し、外国人の宿泊できる洋風のホテルとして、本格的な営業を開始し、万平ホテルとなった。建築を手がけたのは、当時軽井沢一の棟梁といわれた小林代造。その後増改築がなされたが、歴史を壊すことなく居住性を向上することに成功している。和洋折衷のインテリアやステンドグラスなど内部も美しく、軽井沢初の西洋式ホテルとして、その存在感は大きい。万平通りを軽井沢本通りから1km程入ったところにある。

万葉集歌碑
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わが国最古の歌集である万葉集に載っている
碓氷峠を詠んだ二首「日の暮れに うすいの山を こゆる日は せなのが袖も さやにふらしつ(よみ人知らず)」「ひなくもり うすひの坂を こえしだに いもが恋しく わすらえぬかも(他田部子磐前)」が万葉仮名ではなく、現代語で彫られている。碓氷峠見晴台に自然石を使って1967(昭和42)年に建てられた。旧碓氷峠から見晴台に登りきったところの右側にある。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

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