濁川
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浅間山石尊山の中腹にある源泉に端を発し、三石地区、御代田町を流れ、佐久市横和で軽井沢から流れてきている湯川に合流している。名前の由来は水の色が茶色をしている為。源泉を出たばかりの水は透明だが、鉄分を多く含むため、流れるうちに酸化して赤錆色を帯びるのだという。途中には赤滝(血の滝)がある。 ⇒ 

西宮神社
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長倉神社の境内にある小さな神社。

西村伊作(にしむら いさく)
1884年9月6日-1963年2月11日(満78歳没)。文化学院創設者。大正、昭和を代表する文化人で、建築家、画家、陶芸家、詩人、生活文化研究科、作家。和歌山県新宮市出身。敬虔なクリスチャンであった父大石余平、母ふゆのあいだに長男として生まれ、旧約聖書に登場する、イサク(伊作)から名づけられた。弟に眞子(マルコ)と七分(スティーブン)がいる。資産家であった母方の西村家の後を継いだ。青年期から独学で絵を学び、陶器を造り、欧米のモダンリビングを取入れた自邸を設計して住み、またアメリカ留学を終えて帰国した医師である叔父大石誠之助と本格的に生活の改善、欧米化を推進した。長女アヤが小学校を卒業すると、伊作は娘のために自らが考える真の学校教育を模索し、さまざまな芸術家、文化人との交流のなか、歌人与謝野晶子、画家石井柏亭に当時の学校令に縛られない自由でより創造的な学校を作ることを軽井沢にて打ち明けた。両者は賛同して、1921年、駿河台の土地に文化学院を創立した。当時の中学校令や高等女学校令に縛られず、一流人たちによる芸術・学問の教育を行う快活で自由な学校をめざした教育を開始し、自身の資産で運営された。校舎は伊作自身の設計で建てられ、当時の学校建築の常識を離れ、英国のコテージ風の建て物であった。しかし1923年の関東大震災で校舎が全焼し、再び校舎を建てなおすこととなった。軽井沢の
ル・ヴァン美術館に創立当時の校舎が復元され、創立当時をうかがい知ることができる。その後、文化学院の教員にさまざまな文化人、芸術家たちを招き、文学部長に、与謝野鉄幹、晶子夫妻や、菊池寛、川端康成、佐藤春夫などがついた。美術は、棟方志功らが、音楽は、山田耕筰など、ほかにも、北原白秋、有島武郎、芥川龍之介、遠藤周作、吉野作造、高浜虚子、堀口大學、美濃部達吉ら数々の著名人が文化学院で教え、現在に至るまで数多くの著名人によって教育が行われている。

二手橋(にてばし)【
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旧軽井沢銀座商店街を過ぎ暫らく行ったところにある矢ケ崎川に架かる橋。旧中山道時代も同じ場所に橋があった。橋名の由来は諸説あるが、軽井沢宿の旅籠のひとが旅人を送り出すのにこの橋まで送ってきて、「それではこれにて」 と言って別れたので二手橋と言うのだ説もその一つ。軽井沢宿からここまでの道は平坦だが、ここから碓氷峠までの旧中山道は急坂だったという。現在は車道と、二手橋から少し登った所から始まる碓氷峠遊覧歩道が整備されている。近くにはショー師関連の文化財や芭蕉句碑室生犀星詩碑等がある。

日本基督教団軽井沢教会
写真】 ⇒ 教会

日本書紀
日本最古の正史である日本書紀は、古事記の成立よりも8年遅く、720(養老4)年に完成し、神々の時代から持統天皇までの歴史が30巻にまとめられている。その中の第7巻、所謂「日本武尊の東征」のなかに「・・・則ち甲斐より北武蔵・上野を転歴て、西碓日坂に逮リます。時に、日本武尊、毎に弟橘媛を顧ひたまふ情有り。故、碓日嶺に登りまして、東南を望みて三歎かして曰はく『吾嬬はや』とのたまう。故、因りて山の東の諸国を号けて吾嬬国と曰ふ。」と記述されている。日本武尊は伊邪那美命とともに、碓氷峠熊野皇大神社本宮の祭神になっている。

日本聖公会ショー記念礼拝堂
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1985(明治28)年に建設された、軽井沢で最も古い教会で、秘書に訪れた外国人たちの礼拝堂として誕生した。簡素でいて温かみのある木造建築が特徴的。1922(大正11)年に大改修がおこなわれ、現在の姿となった。A.C.ショー氏ゆかりの教会として、聖地軽井沢のイメージを伝え続けている。ショーハウス記念館に隣接し、日中は礼拝時以外は見学可能。今も日曜日には日本聖公会の牧師による礼拝が行われ、建物の前にはショー氏の胸像ショー氏記念碑とがある。旧軽井沢銀座を過ぎ、二手橋手前左。〒389-0102、軽井沢町軽井沢645、電話:0267(42)4740。 ⇒ 教会

ニホンリス
赤褐色から灰褐色のリスで主に木の上で生活しているが、ドングリやクルミ等の餌を探したり、移動のために地上活動することもある。冬眠をせず、町内全域で見られる。平成15年8月1日に、町制施行80周年を記念して軽井沢町の獣に制定された。

日本ロマンチック街道
長野県東御市から小諸市、軽井沢町、群馬県草津町、沼田市を経て栃木県日光市までの全長約230kmの街道。上信越国立公園と日光国立公園を結ぶ横断道路で、浅間・白根・日光白根などの火山が創り出した高原・滝・湖沼・湿原地と、近世の城下町・温泉町・宿場町・門前町を通過する。日本ロマンチック街道は日本において最もドイツ的自然景観を持ち、ドイツ・バイエルン地方のヴュルツブルクから、オーストリア国境のフュッセンに至るドイツロマンチック街道になぞらえて名付けられた。現在はこの本街道に加えて、カッセ=小径として上田市等の自治体が加入し、総延長350kmとなっている。
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