ラヴィーンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)
1861年5月7日、カルカッタの名門タゴール家に7人兄弟の末っ子として生まれ、太陽を意味するラビと名付けられた。幼い頃から詩作を能くし、1909年にはベンガル語の詩集「ギータンジャリ(神への献げ歌)」を自ら英訳して刊行した。1913年にはアジア人として初のノーベル文学賞を受賞し、翌年にはイギリス政府からナイトに叙された。日本に対する関心も深く、日本人の自然を愛する美意識を高く評価したが、当時の軍国主義の台頭には強い懸念を示した。5度に渡って来日しているが、1913(大正3)年には国賓として日本政府から招請され、8月には日本女子大学成瀬仁蔵学長の招きで、軽井沢の三井邸に滞在し、女子大生たちに祈りについての講話をした。1941年8月7日歿、享年80歳。 → 
タゴール記念像
 ⇒ 佐久広域事典  ⇒ 佐久穂事典  ⇒ 立科事典  ⇒ 東御事典