体育館
 軽井沢勤労者体育センター 0267-48-3433 軽井沢町風越公園
 軽井沢町社会体育館 0267-45-7772 

第一源泉
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濁川最上流部のお歯黒池の中にある湧水で、鉄分を含んだ水が湧き出ている。湧き出たばかりの水は透明だが、すぐに酸化して茶色を帯びる。すぐ近くの沢に第二源泉がある。

大塚山
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旧軽井沢銀座商店街が尽きる右手(南側)にある小さな山。A.C.ショーの別荘はこの山の上に建っていたという。現在は私有地なので山頂に登ることは出来ない。季節には山腹のシダレザクラが素晴らしい。

第72回国民体育大会冬季大会
愛称は「ながの銀嶺国体」。2017(平成29)年の1月27日から31日まで
軽井沢風越公園アイスアリーナはアイスホッケーの成年男子会場になった。

第二源泉
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濁川最上流部の谷の脇にある湧水で、鉄分を含んだ水が湧き出ている。湧き出たばかりの水は透明だが、すぐに酸化して茶色を帯びる。すぐ近くのお歯黒池の中には第一源泉がある。

第2運動場 ⇒ 
追分第2運動場

大日橋
茂沢南部で
茂沢川に架かる橋。上流部分から中沢川が分かれている。 ⇒ 

タゴール記念像
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アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩人、思想家であるラヴィーンドラナート・タゴールは、来日した際軽井沢で行われた日本女子大学の修養会に講師として招かれ、学生を前に「祈り」についての講話をした。この像はタゴールの生誕120年を記念して建立されたもので、背後の壁には彼の言葉「人類不戦」の文字が記されている。碓氷峠見晴台を登りきったところの左側にある。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

田崎美術館
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文化勲章受賞画家故田崎廣助の遺志により第二の故郷として愛した軽井沢の地に自身の作品を永久保存、展示するため1986年5月に開館した美術館。浅間山や八ヶ岳などのほか、軽井沢をテーマにした作品や関連資料が収集・保存、常設展示されている。原広司設計による建物自体も軽井沢の自然と融合した芸術的な建造物で、積乱雲を連想させる形状の屋根と、幾何学的な壁面構成等が特徴的。昭和61年度日本建築学会賞を受賞している。喫茶室有り。国道18号上ノ原交差点を軽井沢方面より右折、ロイヤルプリンス通り約1.5km左側。長倉2141-279、電話:0267(45)1186。 ⇒ 記念館・資料館・博物館・美術館・文庫

田崎廣助
1898(明治31)年9月1日、福岡県生まれ。1984(昭和59)年東京にて歿、享年85歳。三笠にアトリエを持ち、晩年の殆どを軽井沢で過ごした。生涯にわたり
浅間山、阿蘇山をはじめとする自然の姿を力強い線と鮮やかな色使いで描いた画家で日本の油絵界の第一人者であり、山岳画家とも呼ばれた。1975(昭和50)年には日本の絵画の発展に多大な功績を果たしたことが評価され、文化勲章を授与された。多くの作品が田崎美術館に保存・展示されている。

橘定兼 ⇒ 
碓氷定兼

立原道造
詩人であり、建築家でもあった立原道造(1914年7月30日生まれ、1939年3月29日歿)は、1934年の夏、初めて軽井沢を訪れ、以降1938年の夏まで何度となく滞在し、ソネットに代表される詩や物語を生み出した。立原が愛した浅間山麓の自然と風景は、昭和の抒情詩を代表する作品になるとともに、壮大な都市計画構想 「浅間山麓に位する芸術家コロニイの建築群」 にも表現された。立原の才能と資質は、我が国の現代文化に少なからぬ影響を与えたと言える。

立原道造詩碑
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軽井沢を愛した夭折の詩人立原道造の代表作「のちのおもひに」 の冒頭部分「夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しづまりかへった 午さがりの林道を」 が刻まれている。1993(平成5)年7月、軽井沢高原文庫前庭に磯崎新設計で971人の有志により建てられた。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

立原道造の詩と像のレリーフ
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道造の詩集 「風に寄せて」 に収録されている 「夏の旅 T 村はずれの歌」 と題する詩と、道造の上半身のレリーフが、追分宿内追分公民館駐車場横の壁に嵌め込まれている。「夏の旅 村はづれの歌 咲いてゐるのは みやこぐさ と 指に摘んで 光にすかして教へてくれた― 右は越後へ行く北の道 左は木曾へ行く中仙道 私たちはきれいな雨あがりの夕方に ぼんやり空を眺めて佇んでゐた さうして 夕やけを背にしてまつすぐと行けば 私のみすぼらしい故里の町 馬頭観世音の叢に 私たちは生れてはじめて言葉をなくして立つてゐた 立原道造」 と、追分分去れ付近の風景が詠まれている。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

伊達政宗の発句
1614(慶長19)年、四月末に碓氷峠を登ってきた伊達正宗は「夏木立 花は薄井の 峠かな」 と詠んだ。

ダニエル・ノーマン(Daniel Norman)
1864-1940。カナダ出身の宣教師。神学を学び、宣教師として1897年9月に単身来日した。1902年からは長野に移って宣教活動に入り、夏季は軽井沢でも過ごした。
ショー師から軽井沢における布教活動を引き継ぎ、ユニオンチャーチや、軽井沢協会設立のために尽力した。軽井沢の善良・清潔な風紀を保つことに努め、地元の人々と良好な関係を保ち、「軽井沢の村長さん」と親しまれた。当時の別荘は、現在のノーマンレーン沿いにあった。

玉村 豊男
1991年から東御市で農園やレストランを営むエッセイスト。数多くの著書の中に
「軽井沢うまいもの暮らし」がある。東御市へ移り住む前の8年間は軽井沢で過ごした。

試石 ⇒ 
峠の力石
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