力士雷電生家力士雷電生家
雷電は寛政10(1798)年32歳のとき、金50両を投じて生家を改築した。180余年の歳月により老朽化した生家を復元し、永く保存しようとの機運が高まり、昭和57(1982)年2月、地元の大石区総会で復元の合意を得た。地元及び同郷の寄附により、昭和59年に復元され、12月1日には復元記念祝典が開始されている。内部の土間には土俵が描かれ、部屋にはゆかりの品が展示されている。庭先には雷電の鋤石が置かれている。昭和42年3月27日指定東部町史跡。

力士雷電の碑力士雷電の碑
佐久間象山の撰文並びに書による石碑。雷電は、寛政2年(1970)の初土俵から、文化8年(1811)の引退までの成績が、勝ち星254、負け星10、勝負預り等21であった。この碑を欠き取って身に付けると、立身出世するとか、勝負事に勝とかの迷信が生まれ、打ち欠いて持ち去る者が多く、碑文が読めなくなったので、旧碑の隣に新碑が建てられた。西面するのが旧碑で、南面するのが新碑。国道18号牧家交差点を滋野駅方面に50m程下ったところの右側。

 ⇒ 軽井沢事典  ⇒ 佐久広域事典  ⇒ 佐久穂事典  ⇒ 東御事典