東町歌舞伎舞台東町の歌舞伎舞台
この舞台の規模は切妻平入瓦葺で、間口14.5メートル、奥行9.1メートル、床高1.07メートリあり、舞台中央に直径7.1メートルのコマ式回し舞台と左右に二つの「せりあげ」を備えている。舞台が廻ることで幕合いが縮まるし、上下する「せり」で芝居は立体化される。舞台の両袖には、三味線をひいたり義太夫が語られる下座が設けられている。なお、奈落(ならく)と呼ばれる床下へは階段で降りられるが、そこは芝居の時には役者達の化粧部屋となり、据え風呂も特設される。観客席の前半分は、芝生で文字通り芝居見物の場となる。その後方の斜面は三段に石を積み舞台口に向かって扇型に築造されていて観る人に好都合である。建物の創建は文化14年(1817年)とされている。十二平地籍に、えんぎば(演技場)と称する場所があり、以前はそこで歌舞伎がおこなわれたという。文政4年、明治29年、昭和63年に修築された。この東町舞台は、西町舞台と共に祢津及び近郷の庶民文化の殿堂となった。特に、東町の村人らみずからこの舞台で歌舞伎を演ずる習わしは貴重といえよう[東御市教育委員会]。長野県宝。祢津東町日吉神社境内。

火のアートフェスティバル火のアートフェスティバル
八重原の
芸術村公園で開催される登り窯焼成を中心としたイベント。フリーマーケットや陶のワークショップの他、イベント広場のステージでの発表など。毎年10月上旬の土・日に開催される。2011年は10月8日、9日に開催され、東日本大震災からの一日も早い復興を願い祈の文字をキャンドルアートで描いた。
百体観音石造町石
新張から地蔵峠を越えて、群馬県嬬恋村の旧鹿沢温泉に行く間の湯道と呼ばれた県道94号の脇には、一番から百番まで何種類かの観音が、1町(およそ110m)毎に祀られている。江戸時代末期の文久4年(1864)から明治6年(1873)の約10年間につくられた。初めに造ることを願ったのは、鹿沢温泉の楢原所右衛門たちであったが、実際に世話をしたのは新張村であったとのこと。一番から八十番(峠頂上)までが東御市(所有は新張区)の分。昭和42(1967)年3月27年東御市(旧東部町)指定文化財。なお、町石(ちょうせき)とは、寺院等の道標として一町毎に建てられた卒塔婆などを云う。
 ⇒ 軽井沢事典  ⇒ 佐久広域事典  ⇒ 佐久穂事典  ⇒ 立科事典