北国街道
軽井沢町追分宿の分去れで中山道と分岐し、越後の高田あるいは出雲崎まで続く道。佐渡で採れた金を江戸まで運んだり、善光寺参りの人達が利用したり、また加賀藩が参勤交代に利用したりと、五街道に次ぐ重要な道であった。田中宿と海野宿を通っていた。
本卯建(ほんうだつ)
卯建の一種で、建物の両側にある妻壁を屋根よりも一段と高く上げて小屋根をつけたもの。江戸時代に作られ防火壁の役割を果たし火返しとも呼ばれている。海野宿でも見られる。
 ⇒ 軽井沢事典  ⇒ 佐久広域事典  ⇒ 佐久穂事典  ⇒ 立科事典