池の平湿原
三方ヶ峰火山の火口原に広がる高層湿原で標高はおよそ2,000m。池の平周辺の浅間山麓一帯の地域は、温暖な里山から、一気に標高2000m超の山頂へと急峻な地形になっている。そして内陸性気候ということもあり、昼夜の気温差、年間の気温差がとても大きい。そのため里山に生息する動植物から、高山性の動植物までが、この狭い一帯に混在し生息している。そのような特有な環境が、池の平湿原を「高山植物の宝庫」としてくれた。6月はイワカガミ、ハクサンシャクナゲ、7月にはレンゲツツジ、アヤメの大群落、8〜9月にはヤナギラン、ノアザミ、マツムシソウ、リンドウなどの草花が見られる。見晴岳、三方ヶ峰の南斜面には、「高山植物の女王コマクサ」の群落(6月下旬〜7月)も見られる。また、ウメバチソウ、モウセンゴケ、ワタスゲなどの湿性植物の観察もできる。野生動物も、オコジョ、ニホンカモシカ、ノスリ、ハヤブサなどが生息し、多くの野鳥、また、ベニヒカゲやミヤマモンキチョウ、ミヤマシロチョウなどの貴重な高山蝶も見られる。

戌の満水(いぬのまんすい)
江戸時代の寛保2戌年(1742)7月27日(旧暦)から降り出した雨は8月 1日まで降り続いた。そのために北山(奈良原上)の山と池が崩壊し、土石流となって金井村を襲い、更に現在の東部中学校、法善寺附近を南下し常田、田中の宿場を千曲川まで押し流した。土石流の直撃を受けた金井村は、65軒のうち62軒が流出し、人口のおよそ半数が亡くなった。村は東に移り、跡地は河原と呼ばれて放置された。田中宿は119軒が流失し、宿場はその機能を隣の海野宿に移した。田中宿が復旧するのには60年もの歳月を要したとされている。旧金井村附近では土石流の跡が林となって残っており、金井村跡碑が建てられている。田中の薬師堂境内には二百年忌供養塔と戌の満水塔が建てられている。

戌立(いんだて)石器時代住居跡 【
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この遺跡は縄文時代中期のもので敷石をともなう住居跡である。三方ヶ峰の南麓、南傾斜の扇状地の上部、標高770mの地点に位置し、付近には伊勢の宮、寺浦(ともに小諸市)の外、広い範囲にわたって住居跡が確認されており、大集落跡であると思われる。敷石のある住居跡(柱穴、炉及び炭跡六か所)、獣骨片、土器類、磨斧、石鏃、石皿破片などが発掘された。昭和8年文部省の指定史跡となり、昭和25年の文化財保護法制定後も特別史跡に指定されている。昭和63年度に復元された。[東御市教育委員会] 住居跡は浅間サンライン原口交差点を聖方面に1kmほど上った右側にあり、付近は緩やかな傾斜地で日当たりがよい。発掘が始まったのは昭和5年で、昭和8年には日本で初めて住居が復元されたが、落雷で焼失したとのこと。昭和63年の復元は地元の人々によるもの。
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