農村保健研修センター
財団法人農村保健研修センターが運営する研修センターで、本部は長野県厚生農業協同組合連合会内。農山村地域住民の生活や保健・医療・福祉の一層の向上を図るために、関係者の再教育機関として利用されており、また「学問を討論の中から」を基本理念に、参加者と講師の意見交換を行うための情報交換会を行いながら研修カリキュラムの企画、運営を図っている。1975年に厚生省(現在の厚生労働省)と農林水産省の指導のもとに開設され、2000年に全国から長野県に移管された。〒380-0826、佐久市臼田787、電話L:0267(82)5800、FAX:0267(82)5801。

野沢
佐久市の地名。

野沢会館
佐久市生涯学習センターの愛称。
野沢祇園祭
例年、7月下旬の土、日に開催される。山車、神輿など。 ⇒ 
祇園祭
野沢北高 ⇒ 
長野県野沢北高等学校
野沢保育園
社会福祉法人春育会野沢保育園。昭和23年に幼稚園・保育園が野沢に創設され、昭和25年に野沢保育園となった。昭和51年に現在地へと移転したのに伴い法人化され、社会福祉法人春育会が運営している。定員90名。〒385-0043、佐久市取出町491-2、電話:0267(62)0634、FAX:0267(64)5230。

のぞみサンピア佐久
のぞみグループが運営する在宅型老人ホーム ウェルハウスのぞみサンピア内に併設された日帰り温泉。〒385-0062、佐久市根岸3203-2、電話:0267(63)3900、FAX:0267(63)2619。

野辺山高原
八ヶ岳の東麓に広がる広大な高原。北海道を思わせる農地が広がり、白菜、レタス、キャベツとの高原野菜栽培が行われ、酪農も盛ん。古代は別として、野辺山高原には、近世初期まで家や集落が存在しなかった。そこで、江戸幕府は1606(慶長11)年に板橋村、1686(貞享3)年に矢出原新田を置き、佐久甲州街道(現在の国道141号)の特に冬期間における安全確保の任務を負わせた。馬の生産が主な産業だったが、明治時代に軍馬の生産が奨励されると飼育頭数は急増し。1887(明治20)年には海ノ口市場ができた。島崎藤村の『千曲川のスケッチ』には当時の海ノ口市場の様子も描かれている。海ノ口牧場は2,500hrの面積で1900(明治33)年に開設した。本格的に農業が始まるのは1934(昭和9)年に若手開拓者らによるハクサイの試作が成功してからで、翌1935(昭和10)年には野辺山高原蔬菜出荷組合が35名の組合員で組織された。1941(昭和16)年に文部省の学校連合訓練所、1942年に大日本帝国陸軍東部51部隊の野辺山演習地が開設され、1945(昭和20)年には学校連合訓練所が三重海軍航空隊の特攻隊訓練に使われた。終戦後の1945年11月には「緊急開拓事業実施要領」に基づき、約170世帯が入植したが、厳しい気候条件と恵まれない土壌のため、開拓農家は約2年で50世帯まで減少した。そこで、7つに分かれていた開拓組合は1948年に野辺山開拓農業協同組合に統合された。1949年の青果物統制の廃止、1950年の朝鮮特需も影響して、ダイコンの栽培等商業的経営が増加した。酪農のきっかけは、野菜の栽培に使う堆肥を得るため、1953年にニュージーランドから14頭のジャージー乳牛を輸入したことで、同年振興対策事業が始まり、野辺山駅前の46 戸が計画的に移転し、散村景観を呈するようになった。1960年代後半より牛乳価格の下落により酪農は下火になるが、野菜の栽培は増加を続け、野辺山は日本を代表する高原野菜の産地となった。JR小海線の野辺山駅は標高1,345.67mで、JRの最高地点は1,375m。国立天文台野辺山宇宙電波観測所・太陽電波観測所、信州大学農学部附属アルプス圏フィールド科学教育研究センター野辺山ステーション(旧・野辺山農場)、筑波大学農林技術センター八ヶ岳演習林。
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