草軽電鉄
かつて新軽井沢と草津温泉を結んでいた鉄道。草津軽便鉄道株式会社により1915(大正4)年に新軽井沢―小瀬温泉間が一部開通し、1926年には新軽井沢―草津温泉間の55.5km全線が開通した。当初は蒸気機関車を利用していたが、1024年には電化され、草津電気鉄道株式会社と改称された。始発の新軽井沢駅を出ると、旧軽井沢、三笠、鶴溜、小瀬温泉、長日向の各駅を経由して草津方面に向かっていた。残念ながら、昭和35年には軽井沢町内の路線は廃止となり、翌々年には全体が廃線となった。小瀬温泉と長日向の間には柳川橋梁跡の橋台が残されているほか、そこここの鉄道跡地が車道や林道としてその面影を残している。また現在の軽井沢駅には当時使われた機関車が残されている。

「草軽電鉄の詩(うた)」 ⇒ 「写真集 草軽電鉄の詩(うた)」

沓掛宿
中山道浅間三宿の真中の宿場町で、現在の中軽井沢。平安時代中期にはすでに長倉神社と長倉駅とがあったと文献に伝えられている。江戸時代になってからは隣接する軽井沢宿追分宿には及ばなかったものの、本陣1、脇本陣2、問屋2があり、人口は安永年間で673人と記されている。

沓掛時次郎碑写真
1953(昭和28)年5月に当時の沓掛商工会が中心になって建立した。高さ3mの自然石に流行歌の一節を長谷川伸の筆により描き刻んだもの。碑を正面から見ると、木立の背後に浅間山が見える。「千両万両枉げない意地も、人情搦めば弱くなる 浅間三筋の煙の下で 男 沓掛時次郎 長谷川伸 書」。沓掛は中軽井沢のかつての名称。剣を取ると滅法強いが、義理と人情にはからきし弱い。そんな男沓掛時次郎は長谷川伸の筆によって生み出された侠客で、中山道街道筋の古い宿場、火の山浅間の麓、沓掛を舞台に活躍した架空の人物。長倉神社境内の湯川寄りに建つ。銘菓、時次郎饅頭。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

熊野皇大神社写真
本殿が本宮(長野県と群馬県の県境に鎮座)、那智宮(長野県側に鎮座)、新宮(群馬県側に鎮座)の3社からなり、2県に跨っている珍しい神社。祭神は本宮が伊邪那美命と日本武尊、那智宮がコトサカオの命、新宮がハヤタマオの命。昔から碓氷峠の権現様、または熊野神社と呼ばれてきたが、明治以降その名を熊野皇大神社と改めた。現在の社は江戸時代中期に建立されたもの。境内及び周辺には熊野皇大神社のシナノキ、峠の石の風車峠のこまいぬ等の文化財文学碑が数多く存する。

熊野皇大神社秋の祭典写真
毎年10月15日に熊野皇大神社境内で開催される、お神楽奉納、五穀豊穣、交通安全祈願祭。

熊野皇大神社のシナノキ写真
熊野皇大神社の境内東寄りに立つ大きなシナノキ(シナノキ科)。推定樹齢900年弱。1991(平成3)年8月15日に長野県の天然記念物に指定された。 ⇒ 文化財

熊野神社写真
群馬県・長野県境に鎮座する群馬県における熊野信仰の一大中心地で、一般には峠様と呼ばれ親しまれている。右(東)から、新宮、本宮、那智宮と三社が建っているがその内の那智宮は長野県側にある。新宮の梵鐘は群馬県指定の重要文化財。

雲場池写真
御膳水をせき止めて造った池で、スワンレイクという美しい愛称をもつ。雲場池は、散策に休息に格好の場所で、池の畔を散策するひと、キャンバスに向かう人、三脚を立ててカメラを覗く人。水面にクレソンがゆれる春から、霧氷に彩られる冬まで、四季を通じて人々に安らぎを与えてくれる。軽井沢一の紅葉ポイントとしても人気で、カラマツやモミの木に囲まれた池の周りには一周25分ほどの散策路がある。離れ山通り六本辻北側。

雲場公園写真
軽井沢駅北口から西方へ250m程の所にある公園。芝生広場、ベンチ、鉄棒、シーソー、ブランコ、藤棚、砂場等。軽井沢東地区。国道18号と軽井沢駅前通りとの間。

グリーン・ブリーズ
GREEN BREEZE。軽井沢観光協会の機関紙。広報宣伝委員会が担当をしている。フリーペーパー的な配布をされているが、広告量は少なく、イベント情報などが要領よくまとまっている。
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