しいある倶楽部
樹木は人々の財産である―をコンセプトにして活動している2005年3月に設立された団体。ビオトープの建設や、伐採計画のある貴重な樹木の移植事業等をしている。軽井沢町長倉3108-11。

寺院 ⇒ 


ジーロ・デ・軽井沢
軽井沢を拠点に、一般公道上をタイムラリー形式で走行するヒストリックカーイベント(2日間で約350キロ)。毎年軽井沢若葉まつりの期間に開かれている。ジーロ・デ・軽井沢(GiRO di Karuizawa)とは、軽井沢での周遊、小旅行という意味を持つイタリア語。古きよき時代の名車たちが軽井沢を駆け抜ける。

塩川治子
軽井沢町在住の作家・小説家。1942年東京生まれ。著書には、「不死鳥」「旭のぼる」「
北斎の娘」等がある。1991年に佐久文化賞を受賞。日本ペンクラブ会員、日本劇作家協会会員、軽井沢ロータリークラブ会員、佐久文化会議会員、軽井沢文化協会理事。

塩沢湖
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泥川を利用して造られた人造湖で、軽井沢タリアセンの中央にある。周囲には各種の観光施設、文化施設、遊戯施設等がある。鯉や水鳥が泳ぎ、ボートが楽しめる。長野県軽井沢町長倉217、電話:0267(46)6161。

塩沢湖平和観音
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世界の恒久平和と塩沢湖畔を訪れた人々の永遠の幸福を祈願する為に、浅間山麓に住んでいた彫刻師長寿庵佐藤龍泉翁によって彫られた観音像。欅に彫られ、高さ約5m、屋根付き。軽井沢タリアセン内の塩沢湖南西岸に建っている。

シジュウカラ
適応性の強い鳥で、各種の森林から軽井沢の人家近くにも住み、木の穴、巣箱、壁板の穴、郵便受けなど、どこへでも巣を作る。ツツピン、ツツピン、ツツピンとさえずり、地鳴きはチイー、チイー、ジュク、ジュクと鳴く。(シジュウカラ科/留鳥)

自然保護対策要綱 ⇒ 軽井沢の自然保護対策要綱

信濃追分駅
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しなの鉄道の最高所駅で標高は955m。一日あたり乗降客数約360人。東隣には中軽井沢駅、西隣には御代田駅がある。1909(明治42)年に追分仮停車場として開業し、1923年に信越本線の信濃追分駅となった。1987年の国鉄民営化に伴い、東日本旅客鉄道に移管されたが、1997(平成9)年10月1日の長野新幹線開業に伴い、しなの鉄道に再移管された。通常は無人駅だが、ゴールデンウィークと7月20日から8月一杯の期間は小諸駅から駅員が派遣され駅業務を行う。相対式2面2線、横取装置あり。駅周辺には有料駐車場、バス停、軽井沢追分郵便局等があり、駅ホームからは浅間山がよく見える。駅舎内には暮らしの手帖別冊あたらさん編集室があるが、駅業務との直接的な関係はない。

信濃追分駅地場産朝取野菜直売所
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軽井沢町商工会西支部により信濃追分駅待合室に例年8月1日からお盆頃まで設けられている地元野菜の直売所。2004年の開設以来、信濃追分駅の夏のイベントとして定着している。

しなの追分馬子唄道中
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宿場の面影を残す中山道追分宿と浅間神社境内で、例年7月下旬の日曜日に開催される民謡まつり。旅姿の武士や旅人を乗せた馬方が、追分で生まれ、全国各地に伝えられた追分節・馬子唄が響き渡る中山道を歩き、見学者を江戸時代へと誘う。

信濃路自然歩道
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自然に親しみながら、自然に対する理解と認識を深め、自然を一層身近に味わうことを目的として「長野県信濃路自然歩道設置要綱」に基づき指定された信濃路自然歩道は、長野県内で「飯綱・戸隠・黒姫高原(2ルート)」「塩の道千国街道」「聖高原」「安曇野」「上高地」「中山道(2ルート)」「権兵衛峠」「伊那谷」「上信越高原」「浅間高原(2ルート)」「佐久高原」「中信高原」の15ルートが整備されている。当初は県で整備し、その後は地元市町村に管理を移管する。軽井沢町の信濃路自然歩道は「峰の茶屋」「白糸の滝」「竜返しの滝」「小瀬」を経て旧軽井沢三笠橋付近まで下る散策コース。「峰の茶屋」〜「白糸の滝」間が3.0km、「白糸の滝」〜「小瀬」間が4.2km、「小瀬」〜「旧軽井沢三笠」間が3.1kmと、全長は約10km、時間は約5時間ほどで、ほぼ湯川と白糸ハイランドウェイに沿っている。始点と終点は離れているので、自然歩道入口の「峰の茶屋」まではバスかタクシーを利用する。途中、車道を数回横切るので、車の通行には注意が必要。信濃路白然歩道は峰の茶屋の白糸ハイランドウェイと国道146号の中間から始まり、入り口にはバス停と案内板がある。途中、小瀬温泉から中軽井沢方面ヘ小瀬林道が分かれてる。三笠から峰の茶屋に向けての逆コースは健脚の人向き。

しなの鉄道
しなの鉄道株式会社によって運営されている元信越本線の篠ノ井駅と
軽井沢駅の間を走る鉄道。軽井沢町内には信濃追分駅中軽井沢駅、軽井沢駅がある。

しなの鉄道沿線観光協議会
しなの鉄道沿線における観光情報の提供を主目的として沿線の各自治体や経済団体、商工団体、農業団体、観光関係団体で組織された協議会。設立は平成12(2000)年2月16日。事務局は「しなの鉄道株式会社」内。〒386-0018、上田市常1-3-29。電話:0268(21)4700、FAX:0268(21)4703。

しなの鉄道株式会社
しなの鉄道を運営するために作られた第三セクター方式による鉄道会社。株主は長野県のほか沿線市町など。北陸新幹線が開業する際にJR東日本から経営が移管されることになった信越本線の篠ノ井駅と
軽井沢駅の間を運営する会社として1996年5月1日に設立された。〒386-0018、上田市常田一丁目3-39、電話:0268(21)4700、FAX:0268(21)4703。

信濃宮宗良親王歌碑
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「君賀多米世乃為何加惜志加良牟 捨天甲斐安留命奈里勢婆(君がため世のため何か惜しからむ 捨てて甲斐ある命なりせば)」と彫られている。信濃宮が碓氷峠を越えて上野に向かう途中でこの歌を詠み家臣を励ましたと言われている。この碑は1980(昭和55)年、信濃宮に忠誠を尽くした高坂高宗の子孫高坂義一氏の奉納により建立された。旧碓氷峠熊野皇大神社石段の脇に建っている。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

東雲交差点
軽井沢駅から旧軽井沢銀座商店街方面へと向かう軽井沢本通りの中ほどにある5差路。軽井沢駅を背にして左方は雲場池通り、左斜め前方は鳩山通り、右方は新渡戸通りとなる。

「写真集 草軽電鉄の詩(うた)」
1982年に発行された「思い出のアルバム草軽電鉄」の新装版。大正初期から昭和37年までの半世紀にわたって軽井沢、草津間を結んでいた草軽電鉄の様子をおよそ200枚の写真と文章で再現している。当時の人々の服装などを改めて思い出すことができ、感慨深い。2008年6月10日第1刷発行、編者 思い出のアルバム草軽電鉄刊行会、A5版、183ページ、1,680円。

社団法人軽井沢青年会議所
明るい豊な社会の実現という基本理念の下に、軽井沢町及び御代田町のメンバーにより設立された青年会議所。現在正会員は約20名、他に準会員及び賛助会員制度あり。長野県軽井沢町中軽井沢9-3軽井沢町商工会館内、電話:0267(45)1445。

シャーロック・ホームズ像野外彫刻
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シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)はイギリスの小説家アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle、1859-1930)による推理小説の中で活躍した名探偵で、世界中にファンがいる。ホームズ登場100周年を記念して、シャーロック・ホームズを愛する有志一同により、1988年10月に建てられた。この地が選ばれたのは、翻訳家延原謙がホームズ物語全60作品をここ追分で翻訳したのにちなんでのこと。追分分去れを北国街道方向に入りすぐのところにある。近くには馬頭観世音等が多数建っている。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

ショー記念礼拝堂 ⇒ 
日本聖公会ショー記念礼拝堂

浄月庵
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小説家有島武郎(1878年生まれ、1923年歿)の三笠にあった別荘を1990年に軽井沢タリアセン内に移築したもの。明治の末に武郎の父、武によって建てられ、父の死後、武郎が譲り受け1916(大正5)年から1922年まで毎年家族と避暑を楽しんだ別荘。代表作の一つ 「生まれ出る悩み」 はこの別荘で執筆されたという。他に軽井沢を舞台にした作品に 「小さき影」 や 「信濃日記」 などがある。1989年までは旧軽井沢区の青年部樫の実会が維持管理していた。移築に際しては、当初あったと思われるベランダ部分とその他数ヶ所が復元された。三笠の別荘跡地には有島武郎終焉地碑が建てられている。

ショー祭 ⇒ 
軽井沢ショー祭

ショー師記念碑
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今日の保健休養地としての軽井沢があるのは、A.C.ショー師のおかげであると言っても過言ではない。カナダ生まれの英国聖公会宣教師、ショー師は1886(明治19)年にキリスト教の布教の途中、軽井沢に立ち寄り、美しい自然と気候が、英国のスコットランドに似ているのに感動し、その夏、友人とともに避暑に訪れた。翌年も夏を過ごして益々気に入り、保健と勉学の適地として推奨し、翌1888(明治21)年、旧軽井沢の大塚山に簡素な別荘を建てた。これが軽井沢の別荘の最初のもので、今日の観光と保健の地、軽井沢を生む一粒の種となった。この碑は師の功績を讃え、1905(明治38)年5月31日、地元の人々により、日本聖公会ショー記念礼拝堂の前に建立された。すぐ近くにショー師の胸像、ショーハウス記念館。 → 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

ショー師の胸像
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1985(昭和60)年、軽井沢ロータリークラブ20周年記念事業として建立された。すぐ近くに日本聖公会ショー記念礼拝堂ショーハウス記念館ショー師記念碑

ショー通り
軽井沢避暑地開発の父として知られる、カナダ人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが1888(明治21)年に建てた別荘があった大塚山(だいづかやま)を起点に、軽井沢本通りまで続く、旧軽井沢銀座通りの一本南側の道。中央付近にある軽井沢会テニスコートは、当時の皇太子殿下と正田美智子さんが出逢われた、皇室ロマンスの舞台。2003(平成15)年、天皇となられてから初めて軽井沢を訪れた両殿下が、この通りを楽しげに散歩されたお姿は、まだ記憶に新しい出来事。本通り側から入ってすぐの場所には、今も現役別荘として活躍する日本人初の別荘、八田邸が佇んでいる。英国通で知られた海軍大佐・八田裕二郎氏のテラスには、散歩途中のショー師がしばしば立寄り、温かい交流が育まれたとのこと。東にショー別荘、中央に運命のテニスコート、西に八田別荘、歴史の逸話があふれているこの道は、避暑地軽井沢を象徴する通りの一つ。

ショーハウス記念館
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1888(明治21)年、避暑地としての軽井沢を見出して広く紹介し、現在の軽井沢の基礎を築いた「軽井沢開発の父」と呼ばれるカナダ生まれの英国聖公会宣教師、A.C.ショーが立てた軽井沢別荘の第1号。一度取り壊された後、1986(昭和61)年に現在の場所に復元され、一般公開されている。外観は日本の民家風だが、内部は洋館の間取りとなっている。日本聖公会ショー記念礼拝堂裏手のカラマツ林の中にひっそりと佇む建物が美しく、軽井沢における初期の洋風別荘を再現している。開館時間は9時〜17時(7月〜9月は18時まで)、休館日は11月から3月、開館期間中は木曜および祝日の翌日(7月半ばから9月半ばまでは無休)、駐車場3台(無料) ⇒ 美術館、博物館、記念館、資料館、文庫

ショウビタキ
軽井沢には冬鳥として10月中旬に飛来し、低山帯の潅木林のほか、農耕地、草原、人家の近くなどに住む。平地では道路端の藪、庭木の茂みなどに単独またはつがいで見かけることが出来る。潅木の頭などに止まって尾をピリリと振り、ヒッヒッカタカタと鳴く。(ツグミ科/冬鳥)

植物
ウワミズザクラコブシサクラソウセイヨウスグリツリフネソウハナヒョウタンボク

ジョン・レノン
ジョン・レノンとオノ・ヨウコ、息子ショーンの3人は1976年から1979年の夏、ヨーコの実家の別荘がある軽井沢に滞在した。宿泊していた
万平ホテルには壁板を壊して隙間に落ちた子猫を助けたエピソードがあり、離山房にはショーンが背比べをした落葉松が残っている。しかし、1980年の夏はニューヨークでのレコーディングのために軽井沢は訪れなかった。そして11月にはアルバム「ダブル・ファンタジー」を発表し、さあ、これからという12月8日に銃で撃たれて帰らぬ人となった。軽井沢でのジョン・レノンの足跡を辿るファンは今でも多い。

白糸の滝
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高さ3m、幅70mほどの、岩肌から浅間山の伏流水が湧き出し、半円を描きながら滝となっている。まさに白い糸を垂らしたようで、全体を見渡すと水のカーテンを広げたように見える。ベールのように流れ落ちる美しい滝は知名度も高く、軽井沢の観光名所の一つになっている。周囲を覆う木立との対比も美しく、春は新緑、夏は陽光、秋は紅葉、冬は雪景色、と四季折々の美しさは訪れる人々を魅了せずにはおかない。信濃路自然歩道の通過地点でもあり、近くには白糸ハイランドウェイの駐車場と売店がある。

白糸ハイランドウェイ
旧軽井沢「三笠」と「
峰の茶屋」を結ぶ一般自動車道で、草軽交通(株)が管理運営を行っている有料道路。途中に観光名所の白糸の滝があり、道路名もそれにちなむ。旧軽井沢と国道146号を直接結ぶルートでもある。峰ノ茶屋〜三笠の通し料金と峰の茶屋〜小瀬、小瀬〜三笠の区間料金がある。料金所で途中で引き返して来る旨を係員に申告すれば、区間料金を支払えばよい。道路と平行して気軽にトレッキングを楽しめる信濃路自然歩道があり、四季折々の自然を堪能できる。

資料館分室 市村記念館 ⇒ 
市村記念館

新軽井沢
一般的には軽井沢駅周辺又は新軽井沢区を指すことが多いが、1923年の軽井沢町制施行以後に軽井沢町に編入された地域(成沢新田、油井、発地、追分、茂沢)をさす場合もある。 ⇒ 
旧軽井沢

新軽井沢さわやかフェア
軽井沢町商工会新軽井沢支部によって例年10月上旬の休日に催されるイベント。軽井沢駅自由通路ではさわやかバザールが、新軽井沢商店街ではペンション宿泊券等の景品が当たるスタンプラリーが開催される。詳細は年により異なるので、季節には関係チラシ等に要注意。

神宮寺
写真】 ⇒ 

神社
名称祭神所在地備考
浅間神社 磐長姫命追分本殿は軽井沢町文化財、 境内の一部は追分公園
大日向神社伊邪那美命他三神(開発鎮守産土神)大日向
遠近宮 磐長姫命借宿社叢は軽井沢町文化財、 境内の一部は公園
白鬚神社猿田彦命(鎮守産土神) 茂沢
熊野神社伊邪那美命他二神(鎮守産土神) 油井 境内の一部は公園
駒形神社月讀命馬取1694(元禄7)年建立
諏訪神社建御名方富命他二神 追分 境内の一部は公園
諏訪神社建御名方富命旧軽井沢社叢は軽井沢町文化財、 境内の一部は公園
諏訪神社建御名方尊(鎮守産土神) 塩沢 境内の一部は公園
諏訪神社建御名方富命(鎮守産土神)成沢神社前はプリンス通り
諏訪神社建南方富命発地開発鎮守の神
長倉神社誉田別尊他二神中軽井沢 社叢は軽井沢町文化財、 境内の一部は長倉公園
八幡神社応神天皇(鎮守産土神)南軽井沢周囲はゴルフ場になっている
古峰神社(鎮守産土神)新軽井沢
発國神社大山祗命(鎮守産土神)発地

「信州軽井沢 三笠焼」
幻の焼き物、
三笠焼について解説されている。著者は陶磁史研究家の大森和夫と詩人の高見沢隆。2004年4月21日ほおずき書籍より刊行された。99頁、1,300円。

森羅亭万象
森島中良(ちゅうりょう)として知られる江戸時代後期の医師、蘭学者、戯作者、狂歌師。桂川国訓の子で桂川甫周の弟。本姓は森島だが、桂川甫粲(ほさん)と名のった。平賀源内の門弟であり二世風来山人、狂歌名を竹杖為軽(たけつえのすがる)といった。兄の家に寄寓し、生涯独身を通したという。 「紅毛雑話」 「蛮語箋」 等の著がある。1954(宝暦4)年生まれ、1808(文化5)年歿。平賀源内を森羅亭万象とし、弟子の桂川甫粲を森羅亭万象二世とする言い方もある。

森羅亭万象歌碑
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「世の中は ありの儘にぞ 霰ふる か思麻しと陀に こころと米禰婆 森羅亭萬象」 と彫られている。作者は森羅亭万象=桂川甫粲=森島中良。追分分去れに1789(寛政元)年建立。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

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