中軽井沢駅写真

中軽井沢駅観光案内所 【
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しなの鉄道中軽井沢駅の待合室内にある観光案内所。数々のパンフレットが取り揃えられており、職員が対応してくれる。軽井沢町長倉3041-2、電話L:0267(45)6050。

中軽井沢さわやかバザール
例年10月中程以降の日曜日に、
中軽井沢駅東側駐車場において開催される、軽井沢町商工会中軽井沢支部主催のバザール。

中軽井沢商店サービス会
消費者に対してサービス券の発行をすることを通して各種のサービスを提供するとともに、参加企業の振興を目指す団体。参加企業数は中軽井沢地区のおよそ30企業。

中軽井沢郵便局
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駐車場4台。〒389-0112、軽井沢町中軽井沢2-1、電話:0267(45)8379。

長倉公園
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長倉神社の境内に設置されている公園で、すぐ西側を湯川が流れ、北西には浅間山を望むことができる。沓掛時次郎碑などのほかにブランコ等の遊具がある。 ⇒ 公園

長倉神社
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祭神は誉田別尊他二神。1758(宝暦8)年に本殿拝殿が修理されている。社叢には70余種の樹木が茂っており、中でもブナノキとアズサノキなどの巨樹は貴重。境内湯川寄りに沓掛時次郎碑。他に西宮神社八坂神社。境内は長倉公園を兼ねている。社叢は軽井沢町指定文化財。軽井沢町長倉2283-1。 ⇒ 神社

長倉のハナヒョウタンボク群落
絶滅危惧種のレッドリストで、近い将来に絶滅する危険性が高い絶滅危惧IB類に指定されている
ハナヒョウタンボクの群落。昭和35(1960)年2月11日、長野県天然記念物に指定された。長倉の千ヶ滝地区にあるが、個人の別荘地内にあるので、配慮必要。長野県天然記念物

長倉の牧(堤跡) 【
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長倉の牧は平安朝の初期に設定された佐久三牧(他に望月、塩野)の一つで、軽井沢高原一帯を占める広大な官牧であったと考えられている。この堤跡は、古来 「駒飼いの土手」 と呼ばれており、およそ130mの長さに渡り残されている。軽井沢駅方面からだと、国道18号の中軽井沢上ノ原交差点を右折し、ロイヤルプリンス通りを800mほど千ヶ滝方面に上ると、右手の直角に交わる未舗装の道沿いにある。軽井沢町指定文化財

中沢川
茂沢の
大日橋上流部分で別れる茂沢川の支流。 ⇒ 

中山道
1602(慶長7)年に徳川家康が制定した五街道の一つで、東海道と並んで江戸時代の重要な道路の一つであった。江戸日本橋から上州を経て信濃に入り、
軽井沢宿沓掛宿追分宿の浅間三宿を経て近江の守山まで67宿、次の草津で東海道と合流し、京都までの69次であった。江戸開府直後、東海道と共に本格的に開拓されたもので、一里塚や松並木などが整備され、各宿場の中心部には、本陣や脇本陣などの大名らの宿泊所や伝馬を扱う問屋などを定め、一般旅人の旅籠屋、茶屋、伝馬を務める農家などが並んでいた。36丁(約4km)毎に築かれた一里塚は軽井沢には三ヶ所あったが、現在その面影を偲ばせるのは、追分の浅間神社と西部小学校の間にある一里塚のみ。名称は、初めは中仙道であったが、東山道の中筋ということで、1716(享保元)年に中山道と改められた。「五街道宿御取扱秘書」 に 「中山道只今之迄仙之字書候得共向後山之字可書之」 とある。

中山道69次資料館
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江戸日本橋から京都三条大橋までの中山道の旅を、浮世絵・写真・道具などの資料により居ながらにして体験できる。資料館の庭はミニ中山道になっているので、歩いてみるのも面白い。「中山道69次を歩く(信濃毎日新聞社発行)」の著者でもある岸本館長に丁寧な説明をしていただける。庭のミニ中山道と館内の展示は、中山道69次の宿場すべてに及んでおり、館長の情熱が感じられる。展示品に触れることが可能で、館内の写真撮影も自由。追分宿西、国道Q号浅間サンライン入口交差点近く。電話:0267(45)3353。 ⇒ 記念館・資料館・博物館・美術館・文庫

中西悟堂詩碑
自筆の詩「ここぞたかはら」 の全文が彫られ、すぐそばに胸像が建立されている。胸像には小鳥がとまっている。中西悟堂は詩人であり歌人。野鳥研究家として自然保護運動を続け、日本野鳥の会を創設し、愛鳥運動を進めてきた。詩碑は1980(昭和54)年に、胸像は1986(昭和61)年にそれぞれ野鳥の森入口に建立された。 ⇒ 
文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

ながの銀嶺国体
第72回国民体育大会冬季大会の愛称。

長野県軽井沢高等学校
前身は昭和18年4月に軽井沢町立高等女子高として開校し、翌19年4月に改称した長野県軽井沢高等女学校で、昭和23年4月の学制変更により普通科全日制男女共学定員300名として誕生した。平成5年にできた英語科は平成19年に国際文化科に改編されている。校訓は「誠実・勤勉であれ」、校章には白樺の葉と鈴蘭の花が用いられている。校歌は昭和29年に作られたもので、作詞者は室生犀星。アイススケート、テニス、アイスホッケーなどのクラブ活動では大きな実績を残している。〒389-0102、軽井沢町軽井沢東1323-43、電話:0267(42)2390。

中村草田男
俳人で本名は中村清一郎。1901(明治34)年7月24日、父、修が領事をしていた中国福建省廈門に生まれ、帰国の後、松山中学、松山高等学校を経て1925年には東京帝国大学文学部独逸文学科(のち国文科に転科)に入学した。そして東大俳句会に所属し、「ホトトギス」に投句を始め、昭和4年、29歳のとき虚子に師事し、昭和9年に「ホトトギス」同人となった。昭和11年、第一句集「長子」の発表以来、「火の鳥」「萬緑」「来し方行方」「銀河依然」「母郷行」「美田」「時機」と、その句集は八つを数えるが、他に評論やエッセイ集の刊行も多数。代表作は「降る雪や 明治は 遠くなりにけり(長子)」や「萬緑の 中や吾子の歯 生え初むる(火の鳥)」など。特に「萬緑の・・・」は句界に大きな影響を与え、「萬緑」という言葉が盛夏の季題として定着するきっかけともなった。1946年には現在も活発に活動を続けている「萬緑同人会」を主宰し、同人誌「萬緑」を創刊した。また、俳句以外でも、成蹊大学の教授を1949年からの18年間務めるなどして、後進の指導に当たった。1983(昭和58)年8月5日に歿したが、その前日に洗礼を受けてクリスチャンになったという。中村草田男の句碑は数多いが、その中の一つが
聖パウロカトリック教会の敷地に建てられている。

中村草田男句碑
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表は伊藤博敏(松本市在住の石を素材にした造形作家)の手による聖母子像のレリーフ。裏面に「草田男/八月も/落葉松淡し/小會堂(チャペル)/中村草田男(一九〇一‐一九八三)/ ヨハネ マリア・ヴィアンネ中村清一郎/会堂が創建された翌年昭和十一年より/妻マリア・セシリア中村直子に導かれ/毎夏ミサに与る/二〇〇四年八月五日/萬緑同人会建之」と彫られている。台座も含め高さ80cm程の石碑で、聖パウロカトリック教会裏の駐車場脇(聖パウロカトリック教会司祭館玄関近く)に建っている。周囲のコケが美しい。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

中村真一郎文学碑
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軽井沢高原文庫の裏庭(正面から見ると二階)に1993(平成14)年7月、およそ640名の有志により、長編小説「四季」四部作をはじめ軽井沢ゆかりの作品を多く残した作家・中村真一郎の詩、「夏野の樹」の全文が彫られている。「夏野の樹 光を浴びて野中の樹 緑に燃えて金の絵ちらし しじまの凍る真昼時 大地の夢を高く噴き出し 白いお前の歌の中 優しく匂ふ乙女の生肌 明日の記憶の眠る墓 茂みの髪は永遠の夜中だ? 酔いはせよ、遠い時を解き 堅い乳房に青い日含み、 流れよ、重い葉の動き 吹き上げのよう愛の波生み 光を浴びて野中の樹!」 ガラスで出来ている珍しい碑。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑
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