中軽井沢
狭義には中軽井沢駅北方の比較的狭い地域で、南端を国道18号が東西に、ほぼ中央を国道146号が南北に通っている。かつての大火災の影響で、道路が碁盤目状に整備されている。郵便番号は389-0112。軽井沢町商工会、中軽井沢郵便局、狩野公園。広義には中軽井沢駅及び軽井沢町役場周辺の地域を指すことが多い。

中軽井沢駅 【
旧駅舎写真
軽井沢町長倉に所在するしなの鉄道しなの鉄道線の駅。ホームは2面2線で標高は938m。1910(明治43)年に信越線の沓掛駅として開業し、以降、1956年に中軽井沢駅と改称、1987年に国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道の駅となる、1997年に北陸新幹線開業に伴い東日本旅客鉄道からしなの鉄道に移管、2012年7月20日に現在の橋上駅舎が供用開始、2013年には駅と接続する「くつかけテラス」が開館した。乗降客は1日およそ600人。隣接する駅は上り側が軽井沢(終点)、下り側は信濃追分。

中軽井沢駅観光案内所 【
写真
しなの鉄道中軽井沢駅の待合室内にある観光案内所。数々のパンフレットが取り揃えられており、職員が対応してくれる。軽井沢町長倉3041-2、電話:0267-45-6050。

中軽井沢さわやかバザール
例年10月中程以降の日曜日に、
中軽井沢駅東側駐車場において開催される、軽井沢町商工会中軽井沢支部主催のバザール。

中軽井沢商店サービス会
消費者に対してサービス券の発行をすることを通して各種のサービスを提供するとともに、参加企業の振興を目指す団体。参加企業数は中軽井沢地区のおよそ30企業。

中軽井沢郵便局
写真
駐車場4台。〒389-0112、軽井沢町中軽井沢2-1、電話:0267-45-8379。

長倉
軽井沢町中心部の地名。北から時計回りに、群馬県嬬恋村・長野原町、軽井沢町軽井沢・発地・追分、御代田町に囲まれている。国道18号・146号、しなの鉄道が通っている。郵便番号は389-0111。軽井沢町役場、軽井沢中学校、軽井沢中部小学校、湯川ふるさと公園。

長倉公園
写真
長倉神社の境内に設置されている公園で、すぐ西側を湯川が流れ、北西には浅間山を望むことができる。沓掛時次郎碑などのほかにブランコ等の遊具がある。 ⇒ 公園

長倉神社
写真
祭神は誉田別尊他二神。1758(宝暦8)年に本殿拝殿が修理されている。社叢には70余種の樹木が茂っており、中でもブナノキとアズサノキなどの巨樹は貴重。境内湯川寄りに沓掛時次郎碑。他に西宮神社八坂神社。境内は長倉公園を兼ねている。社叢は軽井沢町指定文化財。軽井沢町長倉2283-1。 ⇒ 神社

長倉のハナヒョウタンボク群落
絶滅危惧種のレッドリストで、近い将来に絶滅する危険性が高い絶滅危惧IB類に指定されている
ハナヒョウタンボクの群落。昭和35(1960)年2月11日、長野県天然記念物に指定された。長倉の千ヶ滝地区にあるが、個人の別荘地内にあるので、配慮必要。長野県天然記念物

長倉の牧(堤跡) 【
写真
長倉の牧は平安朝の初期に設定された佐久三牧(他に望月、塩野)の一つで、軽井沢高原一帯を占める広大な官牧であったと考えられている。この堤跡は、古来 「駒飼いの土手」 と呼ばれており、およそ130mの長さに渡り残されている。軽井沢駅方面からだと、国道18号の中軽井沢上ノ原交差点を右折し、ロイヤルプリンス通りを800mほど千ヶ滝方面に上ると、右手の直角に交わる未舗装の道沿いにある。軽井沢町指定文化財

中沢川
茂沢の
大日橋上流部分で別れる茂沢川の支流。 ⇒ 

中山道
1602(慶長7)年に徳川家康が制定した五街道の一つで、東海道と並んで江戸時代の重要な道路の一つであった。江戸日本橋から上州を経て信濃に入り、
軽井沢宿沓掛宿追分宿の浅間三宿を経て近江の守山まで67宿、次の草津で東海道と合流し、京都までの69次であった。江戸開府直後、東海道と共に本格的に開拓されたもので、一里塚や松並木などが整備され、各宿場の中心部には、本陣や脇本陣などの大名らの宿泊所や伝馬を扱う問屋などを定め、一般旅人の旅籠屋、茶屋、伝馬を務める農家などが並んでいた。36丁(約4q)毎に築かれた一里塚は軽井沢には三ヶ所あったが、現在その面影を偲ばせるのは、追分の浅間神社と西部小学校の間にある一里塚のみ。名称は、初めは中仙道であったが、東山道の中筋ということで、1716(享保元)年に中山道と改められた。「五街道宿御取扱秘書」 に 「中山道只今之迄仙之字書候得共向後山之字可書之」 とある。

中山道69次資料館
写真
江戸日本橋から京都三条大橋までの中山道の旅を、浮世絵・写真・道具などの資料により居ながらにして体験できる。資料館の庭はミニ中山道になっているので、歩いてみるのも面白い。「中山道69次を歩く(信濃毎日新聞社発行)」の著者でもある岸本館長に丁寧な説明をしていただける。庭のミニ中山道と館内の展示は、中山道69次の宿場すべてに及んでおり、館長の情熱が感じられる。展示品に触れることが可能で、館内の写真撮影も自由。追分宿西、国道Q号浅間サンライン入口交差点近く。電話:0267-45‐3353。 ⇒ 記念館・資料館・博物館・美術館・文庫

中西悟堂詩碑
自筆の詩「ここぞたかはら」 の全文が彫られ、すぐそばに胸像が建立されている。胸像には小鳥がとまっている。中西悟堂は詩人であり歌人。野鳥研究家として自然保護運動を続け、日本野鳥の会を創設し、愛鳥運動を進めてきた。詩碑は1980(昭和54)年に、胸像は1986(昭和61)年にそれぞれ野鳥の森入口に建立された。 ⇒ 
文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

ながの銀嶺国体
第72回国民体育大会冬季大会の愛称。

長野県軽井沢高等学校
前身は昭和18年4月に軽井沢町立高等女子高として開校し、翌19年4月に改称した長野県軽井沢高等女学校で、昭和23年4月の学制変更により普通科全日制男女共学定員300名として誕生した。平成5年にできた英語科は平成19年に国際文化科に改編されている。校訓は「誠実・勤勉であれ」、校章には白樺の葉と鈴蘭の花が用いられている。校歌は昭和29年に作られたもので、作詞者は室生犀星。アイススケート、テニス、アイスホッケーなどのクラブ活動では大きな実績を残している。〒389-0102、軽井沢町軽井沢東1323-43、電話:0267-42-2390。

中村草田男
俳人で本名は中村清一郎。1901(明治34)年7月24日、父、修が領事をしていた中国福建省廈門に生まれ、帰国の後、松山中学、松山高等学校を経て1925年には東京帝国大学文学部独逸文学科(のち国文科に転科)に入学した。そして東大俳句会に所属し、「ホトトギス」に投句を始め、昭和4年、29歳のとき虚子に師事し、昭和9年に「ホトトギス」同人となった。昭和11年、第一句集「長子」の発表以来、「火の鳥」「萬緑」「来し方行方」「銀河依然」「母郷行」「美田」「時機」と、その句集は八つを数えるが、他に評論やエッセイ集の刊行も多数。代表作は「降る雪や 明治は 遠くなりにけり(長子)」や「萬緑の 中や吾子の歯 生え初むる(火の鳥)」など。特に「萬緑の・・・」は句界に大きな影響を与え、「萬緑」という言葉が盛夏の季題として定着するきっかけともなった。1946年には現在も活発に活動を続けている「萬緑同人会」を主宰し、同人誌「萬緑」を創刊した。また、俳句以外でも、成蹊大学の教授を1949年からの18年間務めるなどして、後進の指導に当たった。1983(昭和58)年8月5日に歿したが、その前日に洗礼を受けてクリスチャンになったという。中村草田男の句碑は数多いが、その中の一つが
聖パウロカトリック教会の敷地に建てられている。

中村草田男句碑
写真
表は伊藤博敏(松本市在住の石を素材にした造形作家)の手による聖母子像のレリーフ。裏面に「草田男/八月も/落葉松淡し/小會堂(チャペル)/中村草田男(一九〇一‐一九八三)/ ヨハネ マリア・ヴィアンネ中村清一郎/会堂が創建された翌年昭和十一年より/妻マリア・セシリア中村直子に導かれ/毎夏ミサに与る/二〇〇四年八月五日/萬緑同人会建之」と彫られている。台座も含め高さ80cm程の石碑で、聖パウロカトリック教会裏の駐車場脇(聖パウロカトリック教会司祭館玄関近く)に建っている。周囲のコケが美しい。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

中村真一郎文学碑
写真
軽井沢高原文庫の裏庭(正面から見ると二階)に1993(平成14)年7月、およそ640名の有志により、長編小説「四季」四部作をはじめ軽井沢ゆかりの作品を多く残した作家・中村真一郎の詩、「夏野の樹」の全文が彫られている。「夏野の樹 光を浴びて野中の樹 緑に燃えて金の絵ちらし しじまの凍る真昼時 大地の夢を高く噴き出し 白いお前の歌の中 優しく匂ふ乙女の生肌 明日の記憶の眠る墓 茂みの髪は永遠の夜中だ? 酔いはせよ、遠い時を解き 堅い乳房に青い日含み、 流れよ、重い葉の動き 吹き上げのよう愛の波生み 光を浴びて野中の樹!」 ガラスで出来ている珍しい碑。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑
 ⇒ 佐久広域事典  ⇒ 佐久穂事典  ⇒ 立科事典  ⇒ 東御事典