御影用水
御影用水は、小諸市の東南に位置する御影新田のために小諸藩の郷士柏木小右衛門によって開削された用水路で、全長七里(約28km)の
千ヶ滝用水(上せんぎ)と全長九里(約36km)の湯川用水(下せんぎ)とからなっていた。1650(慶安3)年とその2年後に相次いで完成したが、浅間山の噴石や火山灰が堆積することによってできた土地を通すので、漏水が多く、それを防ぐために水路の底に綿埋めをする等、大変な難工事であったと伝えられている。現在の用水路は、米の増産が大切な課題とされていた昭和30年代と40年代に大部分が改修、新掘削された。旧用水の一部は残したが、大部分は旧水路とは違う水路となり、千ヶ滝用水と湯川用水とは途中で合流し、御代田町の馬瀬口付近では岩村田用水が分流している。この工事で佐久市岩村田地区の水田をも潤すことができるようになった。途中に水力発電所、円形落差工、水温を上げるために用水の幅を広げた温水路等がある。また、追分浅間神社付近は親水公園になっている。千ヶ滝の脇にはこの用水の云われを記した千ヶ瀧不動尊が建立されている。

御影用水温水路 ⇒ 千ヶ滝湯川用水温水路 

三笠通り Mikasa-dori写真
旧軽ロータリーから旧三笠ホテルに通じる道。草軽鉄道が走っていた軌道跡に残る落葉松(カラマツ)並木が美しく、「新・日本街路樹100景」にも選ばれた。更に行くと小瀬温泉、白糸の滝方面に向かう。旧軽井沢銀座方面からは緩やかな上り坂で、サイクリングコースとしても適している。新緑や紅葉は軽井沢を代表する風景だと言える。The railway track of Kusakaru Rail Road left us a row of larch trees. Its new green leaves and autumn leaves are the most famous sceneries of Karuizawa town.

三笠焼
旧三笠ホテルは明治38年に建築され、その翌年に開業した。三笠焼は旧三笠ホテルの開業に合わせてその敷地内で横浜真葛焼の創始者である初代宮川香山によって焼かれた。窯が造られたのは愛宕山の北西方向にある谷筋だが、大正5年に宮川香山が死去すると閉窯されてしまったので、実際に三笠焼が焼かれたのは僅か10年ほどに過ぎない。そのために三笠焼は入手困難で、幻の焼き物と謂われている。尚、横浜真葛焼は4代続いたが、横浜大空襲で廃窯となり、継承されていないとのこと。

みくにふみ(御国書)の碑写真
熊野皇大神社群馬県寄りの駐車場奥にある。「四四八四四 七二八億十百 三九二二三 四九十四万万四 二三四万六一十」と彫られており、「よしやよし 何は置くとも みくにふみ よくぞ読ままし ふみ読まむ人」と読む。碓氷峠の社家に伝えられていたもので、忘れ去られないようにと、1955(昭和30)年に歌碑として建立した。目立たないところに有るので、見落とし注意。 ⇒ 文学碑・歌碑・記念碑・記念像・碑

「見知らぬ鍵」
軽井沢町に在住していた推理小説作家、
内田康夫による軽井沢を舞台にした短編小説。「軽井沢の霧の中で」に収録されている。

ミソサザイ
日本の小鳥の中でも最も小さく、軽井沢の土手、岩の間などにコケで大きな巣を作る。冬季間は人家近くにも来て、藪の中などの狭いところをくぐり抜けて歩く。美しい声でさえずり、地鳴きはチャッチャッ。(ミソサザイ科/留鳥)

三井の森軽井沢ゴルフ倶楽部
〒389-0113 軽井沢町発地941 電話0267-48-3131。

南石堂遺跡 ⇒ 
茂沢の南石堂遺跡

南ヶ丘
軽井沢高校、軽井沢警察署の南方向で、国道18号と軽井沢バイパスとの間一帯。別荘地となっている。

南ヶ丘美術館
軽井沢駅の南西方向に広がる別荘地の中の学校法人中央工学校が所有する文化、研修、宿泊施設、南が丘倶楽部の中にある美術館。内外の近代美術絵画から屏風、壷等の古美術などが幅広く収集展示されている。地下には喫茶店があり、同一敷地内に
三五荘資料館もある。軽井沢警察署近くの南ヶ丘入口交差点を北に入り、カーブした道に沿って南へ約1.1km。長野県軽井沢町軽井沢1052-73、電話:0267(42)4884。 ⇒ 記念館・資料館・博物館・美術館・文庫

峰の茶屋写真
浅間山の東に位置する国道146号の峠。旧軽井沢方面へ向かう白糸ハイランドウェイ信濃路自然歩道、草津・万座方面へ向かう鬼押ハイウェイ小浅間山への登山道がここから分かれている。「レストラン峰の茶屋」は創業明治43年の老舗。なお、写真の交差点には現在は信号機が設置されている。

見晴台 ⇒ 碓氷峠見晴台

宮之前一里塚碑写真
中軽井沢駅の南側の道路沿いにある石碑。宮之前の宮は長倉神社をさしている。裏面には「昭和四十九年六月十五日土屋末太郎之建」と彫られている。もともとはもっと東寄りに建てられていたが、道路の拡幅で現在地に移されたとのこと。この辺りの中山道は南北に流れる湯川に沿っているので、江戸から京に向かう道中で唯一浅間山が左手に見えた場所。 ⇒ 文学碑、歌碑、記念碑、記念像、碑

ミヤマシロチョウ
日本中部の高山地帯にのみ生息し、大きさは6.5cm程。白色で羽のスジはスジグロチョウに似ており、後羽の元の所にはっきりとした橙黄色の部分がある。 ⇒


深山荘
1942(昭和17)年に貸別荘として建築された木造一部3階建て延べ床面積530uの洋風建築。昭和44年8月から45年10月までスイス公使館が使用し、ゴルジエ公使が
旧三笠ホテルにあった外務省軽井沢出張所と終戦交渉を続けたといい、1945年8月10日には日本政府のポツダム宣言受諾をこの建物から打電した。三笠通り沿いにあり、1967年から東京電機大学が夏期の宿泊施設として使用していたが、老朽化が進み、取り壊しになるところ、軽井沢文化協会の求めもあり、軽井沢町で取得改修の上、観光施設として保存する。軽井沢町軽井沢2503。
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